<質問>:札幌の渋谷
空手の型にはよく下段十字受けが出てきます。一般的にこの技法は(相手の中段前蹴りを)両腕交差の十字の形で受けると説明されていますが、私はこれに常々、大いなる疑問を感じています。 我の両手が塞がっている状態であるため顔面がガラ空きとなって適当ではないからです。尤も、そのために平安五段にあるような上段十字受けが連動する技(相手の前蹴りを我は下段十字受けで受けて、さらなる相手の上段突きを我は上段十字受けで受ける意)として存在するのだと事情通に反論されます。
確かに、段受けをしたとたんに上段突きが飛んで来るのは通常よくありますが、言わば殺陣のように、そう都合よく上段十字受けで受けられるとはとても思えません。仮に、受けれたとした場合、その後の処理をどうするの説明もあやふやです。とりわけ、さらに相手が中段前蹴りに転ずるなどすれば、むしろ、墓穴を掘ってしまう恐れがあります。
百歩譲って平安五段の場合はそれで良いとしても、下段諸手十字受けが単独で出てくる場合はどう解釈するのかやはり疑問です。
そこで私は、
(1)本来は片手の動作を、表現上または鍛錬上、両手で行っているのではないか。 (2)片手は攻撃、片手は防御ではないか(平安四段の下段十字受けなどは下段払い+逆突き)。 (3)そもそも受けに見えるが、攻撃ではないか(平安五段後半の下段十字受けなどは倒した相手への攻撃)と考えております。
いずれにせよ、「両手で蹴りを受ける」という動作は武術的には完全に誤りであると考えているのですが。
<回答>
(3)につきましては、もとより言われるようなやり方も想定されます。が、しかし、果たしてそれが技法の基本的解釈かと言えば必ずしもそうとは言えません。
(1)と(2)についての技法の意味はまさに言われる通りであります。とは言え、示されている「下段払い+逆突き」の所作をどのようなやり方で行うのかについては、恐らく、渋谷さまが考えられているやり方とはかなり相違するものがあると思います。
少なくとも、まさにそのままのいわゆる額面通りの形で「下段払い+逆突き」を行うものでないことは確かであります。
その上で、(1)に関して言えば、だからと言って『両手で蹴りを受けるという動作は武術的には完全に誤りである』とは必ずしも言い切れません。もとより片手でも行えますが、それのみに限定されず、両手を用いる技法もあるということです。
たとえば、掌面を用いる諸手下段払いなどがあります。これはクーシャンクー(小)に示されております。また、下段に限定しなければクーシャンクー(大)の上段諸手払い、ローハイ二段の中段諸手払いなどがあります。因みに、型に良く出てくる中段諸手受けも、諸手で受ける形に重要な意味が隠されております。
<質問>:沖縄剛柔流 山人草
両手をクロスさせて受ける技は剛柔流では例えばサンセールーやクルルンファーにありますが、受けると同時に相手の腕や足をつかんで倒すか、投げるものと解釈しています。クルルンファーの場合、背負い投げのようになります。但し、受けただけで終わっていれば仰る通りでと思います。
組手試合ではつかんだりなげたりすることが自由に出来ないルールがあると聞いたことがあります。実は、空手の型には投げ技や逆手と呼ばれる柔術的な技がかなりあると思うのですが、試合化により解釈が変わってしまったのでしょうか。
<回答>その二
ご意見を頂きありがとうございます。私の説明が十分でないことは重々承知しております。ただこれには理由がありますのでその背景をまず説明します。
つまり、渋谷さまの流派では、平安四段・五段などにある下段十字受けの解釈として、一般的には(中段前蹴りに対して)正面から腰を落としてガッチリと下段十字の形で受けるとしているのです。
渋谷さまは、それに対して異なる見解、つまりご質問にあるような内容の考え方を示されたわけです。一言で言えば、諸手で受けている所作は、武術的には有り得ないというのがその主張なのです。
その点(つまり諸手で受ける所作は妥当か否かの意)に関してのみ、私の見解を述べたということであります。
すなわち、下段十字受けの解釈の一つとしては渋谷さまの言われている通り、(技法の一つという意味での)片手による下段払い、従ってまたそれに続く攻撃技(たとえば逆突き)という意味合いもあるのです。
その意味に限定して私は渋谷さま言う通りであると申し上げたのです。そうすると、実は渋谷さまの主張されている(1)と(2)は(片手は攻撃、片手は防御という意味で)まさに同じことを言われているということになります。
同じく(3)については、それが技法の基本的解釈かと言えば、(受け・反撃を第一義とする古伝空手の解釈からすれば)かなり異なるものがあるということです。それでは下段十字受けの解釈は(2)だけかということになりますが、そうではないということです。
言い換えれば、下段十字受けの解釈としては、(渋谷さまが言われるが如く)単純に片手で受け、片手で攻撃するという以外に別な解釈もあるということです。しかし、それは軽々に説明することではないので、敢て省略したということであります。
そして、それとは別に、諸手で受けることは必ずしも武術的でないとは言い切れないという意味合いで、開掌による諸手払いあるいは諸手中段受けなどを説明したという訳であります。
それはさておき、山人草さまのいわれるサンセールの下段十字受けは、(私の理解では)手刀によるものと拳によるものの二種があります。おそらく後者はもう一つの下段十字受けの解釈の意、前者はその応用としての投げの意かと思います。
また、クルルンファーの開掌による上段十字受け及びその後の所作は、首里手で言えばクーシャンクー系の技にあります。
言われる通り左右に変化しての投げ、もしくは逆手を意味しております。ただし、ピンアン五段の場合は型の構成上から見てもそれとは別な技法となります。
ともあれ、御懸念されているように、空手の型の武術的原義は(空手のスポーツ化によって)その解釈が変わるという性質のものではありません(そもそもスポーツ空手では投げや逆手は原則的に禁止されております)。
もっとも、いゆるスポーツ空手における型の解釈が武術的空手の武術的原義とイコールになるかと言えば、必ずしもそうとは言い切れないということです。もとよりそこには、そうなるだけの理由がある訳ですが、ここでは触れません。
いわゆる日本武術は、一般的に、優れて合理的かつ精緻な武術の技法体系を備えているからこそ高く評価されるのであります。日本武術の一類たる琉球武術においても事情は全く同じであり、まさにそこにこそ文化遺産としての琉球武術の真価があると考えます。
山人草さまの御流儀が敢えて沖縄剛柔流と名乗られておられる所以(ゆえん)も、まさにそこにあるものと推察いたします。
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