中国拳法の考察
大脳生理学によれば、人間の脳は脳幹(言わば爬虫類の脳)、旧皮質(言わば哺乳類の脳)、新皮質(言わば人間の脳)の三層構造になっています。とりわけ脳幹(爬虫類の脳)は、生存に不可欠な機能を司(つかさど)る機関であり、動物が生存を続けるのに無くてはならない脳であります。
人間が動物である以上、その脳の基本が脳幹(爬虫類の脳)にあることは言うまでもありません。アメリカの心理学者マズローは、人間が成長するには、@「生理的欲求」、A「安全の欲求」、B「愛と所属の欲求」、C「他者からの承認の欲求」、D「自己実現の欲求」という五段階の欲望を満たしてやる必要があると分析しその優先順位をも明示していますが、まさに@とAは脳幹(爬虫類の脳)に一致するということになります。
ともあれ、上記のごとく人間には自己の生存を目的とした闘争本能(自己防衛本能)がありますから、無手空手による自己防衛の防禦・攻撃の方法、すなわち拳法と同じようなものが世界の各地域(たとえばエジプト・トルコ・インド・中国・蒙古・朝鮮・台湾・ビルマ・タイ等々)にその国または民族に特有なものして自然発生したことは当然でありますが、そのゆえにまた、その起源を明確に断定することは不可能と言わざるを得ません。
人類発生より今日まで、無数の人々によって研究・工夫・継承されて現在の拳法にまで生成発展したものと見るべきであります。
ところで、沖縄の空手に最も大きな影響を与えたのは(その歴史的経緯から見て明らかに)中国拳法でありますが、これに関して言えば、今を去ること約五千年前の黄帝の時代にすでに行なわれていたと伝説されています。
とは言え、実際に多くの書物に記録されるようになるのは春秋・戦国時代(前770〜前222)に入ってからであり、とりわけ漢代(前202〜220)に入ると拳法が確立されてきて形も整えられていったと言うことであります。
たとえば、漢書に「斉(山東省)の民はもっ以て技撃(拳法)に強く、兵家の技(武術)に巧みなり」と記されていて、当時すでに高度な技術があったことを窺(うかが)うことができます。
中国拳法では「型」のことを「架式」と言いますが、この架式の相違によって「長拳大架式(ちょうけんだいかしき)」と「短手小架式(たんしゅしょうかしき)」の二つに大別されます。「長拳大架式」とは、姿勢や動作の大きい伸びのある技法を用いる拳法のことであり、「短手小架式」とは、姿勢や動作の小さな技法を用いる拳法のことを言います。
前者が腰を入れて肩を伸ばすような気持ちで突くのに対し、後者は突きを行うにも肩が動かず腕も伸び切る前に引っ込めるような感じで行う。また歩幅も前者は広く腰も深く落とすが、後者は歩幅も狭く腰も高い。
また、中国拳法を従来それが盛んに行なわれてきた地域で分ける場合は、北派拳術と南派拳術の二つに大別されます。北派とは長江より北から黄河流域で行なわれていた拳法のことを言いますが、河北省と山東省が特に盛んで、その中でも河北省の滄県地方は最盛の地でありました。
南派とは長江から南のことを言いますが、拳法の場合は、特に福建省・広東省を中心した珠江流域のものを指して言います。一般的に、前記の長拳大架式は北派拳術に多く、短手小架式は南派拳術に多いと言われています。
古来、中国の交通機関を「南船北馬」という言葉で表現しているように、南方は運河が多く船が輸送や交通の中心となっているため、拳法の場合も、南派拳術は船で櫓(ろ)を漕ぐ時の立ち方が多いと謂われ、北派拳術では馬に乗った時の姿勢が基本になっていて立ち方の名称も馬歩(まほ)・騎馬歩(きばほ)と謂われております。
要するに南派拳術は、不丁不八歩(ふていふはちほ)あるいは丁字馬歩(ていじまほ:空手における三戦立)という立ち方を多用し、一般的に歩幅を狭くとり、腰を高くした姿勢から細かい手技(てわざ)を用い、拳法の主となる突き技も腕を伸ばし切らないで突き、進退の歩法も細かく行い方向転換も小さく急速に行うのが特徴です。
また、古来、「南拳北腿(なんけんほくたい)」と言われているように南派拳術は手技が中心で足技が少なく、跳躍技は殆んど用いることがなく全体的に動作が剛であります。
これに対して北派拳術は、馬歩(空手における騎馬立)や弓箭歩(空手における前屈立)という立ち方を多用し、広い歩幅をとり、腰を低く落とした姿勢から、跳躍技や跳び蹴りを含んで伸び伸びとした大きな技を用い、突き技も腰を大きくひねって腕を十分に伸ばして突き、進退は大きく行って時には走ったり跳躍したりして目まぐるしく動くのが特徴であります。一般に北派拳術は足技が中心で手技が少ないと言われ、また南派拳術の主剛に対して剛柔相済(ごうじゅうあいなる)であります。
さらに、拳術をその技法の性質によって内家拳(柔拳・内功拳とも言う)と、外家拳(剛拳・外功拳とも言う)とに分ける場合があります。これについてはいろいろな説がありますが、一般的に、前者はその威力が内に隠れている拳術のことであり、後者はその威力が外に表れている拳術であって一見してその技量が判断できるものであります。
前者に属するものは太極拳・形意拳・八卦掌の三種でありますが、これらは稽古するときに「意を用いて力を用いず」と言うように、力を抜いて体を柔らかくして動作も呼吸に合わせて緩慢に行うので、門外の者が見ていてもその技量がよく分からない。
後者は、上記三種の拳術以外の拳術を言いますが、それらはその起源を少林寺の伝説に由来しているものが多いので、一般に、外家拳を少林拳または少林派と称するようであります(その意味では北派拳術は北派少林拳と、南派拳術は南派少林拳と言うことができます)。これらは稽古するときに力を込めて激しく勇猛に動き回るので、一見してその攻撃の方向や威力の程が判断できます。
しかし、理論的に言えば、剛から入る拳術でもやがては柔の理を会得して完成するものであり、柔の拳術も実戦になれば攻撃の瞬間は極めて剛になるのであります。その意味では拳術の奥義という頂点を目指してアプローチする方法が異なるというだけのことであり、どちらも柔と剛の要素を含んでいるものと解せられます。
その意味においては、いわゆる北派拳術(北派少林拳)と南派拳術(南派少林拳)の技術上の相違もまた、結局は、その目的とするところは同じであるため、各々の長所短所をよく弁(わきま)えて両方を稽古することが望ましいことは言うまでもありません。
以上、長々と中国拳法の概観を論じてきたが、中国文化は日本文化(従ってまた沖縄文化)の父であり母でもあるゆえに、日本(沖縄)の文化遺産としての空手の発達を論ずるに際して、まず中国拳法のあらましを知ることは蓋(けだ)し当然のことと言うべきであります。このことを踏まえ、次に視点を転じて沖縄における空手の発達を概観して見たい。