<ご質問>
名古屋に住んでいるO・Jと言います。名古屋で古伝空手を習いたいのですがどこか適当な教室を教えてください。
<ご回答>
あいにくとお尋ねのようなところは寡聞にして存じ上げません。悪しからずご了承ください。
ただ、古伝空手はどこでも習えるような類のものでは無いと思います。希少価値だからこその古伝空手であります。因みに、弊道場では熱心な方は、茨城県、静岡県、福島県、埼玉県の川越市や行田市などから見えております。
一般的に言えば、自分が求めていること、そしてそのことに価値があると確信している人は例え遠かろうと学ぶために苦労は厭(いと)いません。なぜならば、そのことを学ぶことそのものが悦びだからであります。
とは言え現実問題として例えば九州や北海道に住んでいる人は、地理的・経済的・時間的な制約を受けるため自ずから無理があることは確かです。
その意味で古伝空手を習うということは基本的にその人の置かれた様々な条件、例えば近くにその道場があるとか、たまたま良師に恵まれるなどの、いわゆる「運」が左右します。名古屋で習いたいからと言って、否、名古屋に限らず全国どこでも簡単に直に習えるという性質のものではありません。
逆に、そのような条件を完全に満たしていたとしても、最も本質的かつ究極の条件たる修行者自身の資質、言い換えれば、古伝空手に対する探究心や理解力に欠けている人、あるいはその価値の分らない能天気の人などは、まさに「猫に小判」「豚に真珠」状態であることも確かです。
哀しいかな、世の中とはそうゆうものであります。真に有意義な日本の文化遺産たる古伝空手も、日本では、その価値に目覚めている人は未だ、極めて少数派と言わざるを得ません。
とりわけ、日本ではスポーツ空手が中心で、その競技に役立たないものは全て価値がゼロと判断され勝ちであり、真の空手に真摯に取り組もうとしない人が大多数です。あたかもそれは、偏差値アップに直結しない、もしくは入試に役立たない類の勉強は無意味である、と解するがごときものであります。
とかく日本人はマインドコントロールに陥りやすい国民性なので大真面目にそのような悪しき片面思考に染まり勝ちなのであります。
ところで、東欧のスロベニア在住の友人から漏れ聞くところによれば、ヨーロッパなどではすでにスポーツ空手の熱は相当に冷めつつあるようです。
その理由について、彼は次のように解説しております。
@スポーツ空手は3、4年続けると先が見えてしまうので深みがないこと。
A競技という性格上、どうしても無理をするのでケガが多く、健康的でないこと。その割りには(武術的、護身術的という意味で)強くならないこと。
Bスポーツ空手という意味においては、既に自分達(ヨーロッパ人)の方が上であり、いまさら日本の空手に学ぶものは何も無い、という自負心が芽生えていること。
その意味で、今、彼の地で人気があるのは、合気道や琉球古武術であると彼は語っております。やはりそこにはスポーツ空手には無い、いわゆる東洋の神秘が感じられるからであり、座禅ブームなどと同じく、彼らが真に求めているものはまさにそこにあると言うのです。
つまり、日本の誇る武術的な空手は、今、本家・日本を飛び越えて、欧米を中心に受け入れられ教授されている傾向にあるということです。
日本人とは全く逆で、実に礼儀正しく謙虚で熱心に学び、熱烈歓迎してくれる欧米人の方が、傲慢不遜で頭の固い不勉強な日本人よりも教える側にすればダントツで教え甲斐があるということです。
その内、古伝空手や琉球古武術を欧米から逆輸入する日も遠からず訪れるであろうと言わざるを得ません。私も暇が出来たら、韓国にでもでかけ古伝空手・琉球古武術を教授したいと思っております。
日本人に対する歴史的なコンプレックスの反動なのか、何でもかんでも本家を名乗りたがっている韓国人が真の意味での空手を学ぶことは、間違いなく彼らに、空手の本家は韓国なり、の信念を植えつけることでありましょう。
残念ながら日本人は、そうなるまで己に気付かない傲慢さを持つ民族性であると私は解しております。
終わりに、O・Jさまが、良き師に巡り合われんことを祈念申し上げます。
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