四、伝来のピンアンの型と(松濤舘流の)平安の型の本質的な相違点
武術的観点から見た本質的な相違という意味で個々に挙げて行けば切りが無いので、ここでは、「猫足立を後屈立に変えていること」「拳槌中段打ち落としを下段払いに変えていること」「目付けの問題」「型の分解としての約束組手」の四点について論じて見たい。
(1)平安の型は猫足立を後屈立に変えていること
猫足立は、攻防ともに最も適切な立ち方であり、空手の武術性を端的に象徴する最重要の立ち方であることは論を待たない。そのゆえに、沖縄では、古来、猫足立が重要視され、首里手・泊手・那覇手を問わず各系統の型に多く取り入れられて来たのである。而るに、松濤舘流の平安の型においては、猫足立はすべて後屈立に改変されている。
船越義珍はその著「空手道教範」の中で猫足立を説明しているから、猫足立を知らなかったとは思えない。ましてや後屈立ちと猫足立を混同したわけでもなさそうである。蛇足ながら、彼の摩文仁賢和もその著「空手道入門」で、「後屈立ちと猫足立は全然違う」と明言している。
而るに、船越義珍はなぜ「全然違うもの」を同一視してこれを後屈立ちに改変したのであろうか。確かに、猫足立は一見すると踊りに見える立ち方であり、いかにもひ弱そうな感は否めない。これに対し、後屈立ちで所作すれば、その動きはいかにも勇壮活発、豪快であり、いかにも強そうに見えることはこれまた否めず、スポーツ的には後者の方に分があることは間違いない。強いて言えば、この点に理由を求めるのが最も自然である。
とは言え、猫足立の用法は、ある意味で武術的空手の精髄とも言うべきものであり、外見的にはどうあろうともその実質は全く逆で「実・強」であり、その意味では、むしろ、外見的に見栄えのする後屈立ちの方が武術的には余り意味の無い立ち方であり、その実質は「虚・弱」ということになる。
さらに言えば、この「虚・弱」には二つの意味がある。その一は、猫足立を前提として構成されている手技は猫足立であるがゆえに初めてその威力を発揮するのであるが、その土台が後屈立に改変されれば、当然のことながらその手技は本来の用法の意味を失うか、はたまた威力が半減するということになる。
例えば、ピンアン二段(松濤舘流の平安初段)の第一所作、即ち、左猫足立・左中段外受け(松濤舘では左上段背腕受け)・右上段構えからの右拳槌中段打ち落とし・左拳槌横打ちなどはその典型例である。
この所作を仮に後屈立で行えば、型の所作としてのこの技法の鍛錬目的が半減するし(例えて言えば、ナイファンチンの型を外八字自然体で行うが如きもの)、何よりも、型の分解としてのこの技法の意味そのものが適切に説明できなくなってくる。
とりわけ、この技法はクーシャンクー・大に由来(もとより観空・大ではない)し、ピンアン二段を代表する技として最も重要なものであるがゆえに、これを猫足立から後屈立に改変したことはまさに武術的な空手の本質的改変と言わざる得ない。
因みに、「隠された空手」では、この技はそのままでは使えないと論じているが、それは単に自分が知らないだけの話しであり、自分が知らないからと言ってそれを使えないと断ずることは余りに傲慢無恥と言わざるを得ない。
その二は、さる沖縄の大家の言うように、猫足立での鍛錬、すなわち猫足で行う前進・後退・転身の足捌きに、蹴り・突き・受け技を組み合わせて行う稽古は、相撲の四股・鉄砲、剣道の打ち込み同様に最も重要なものである。言い換えれば、そのゆえに各系統の型の多くに猫足立が組み込まれているということである。
この重要な猫足立が凡そ「全く別物」である後屈立ちに改変されるということは、例えば、ナイファンチンの型を外八字自然体で行うようなものであり、手技をいくら繰り返しても本来の武術的鍛錬の目的とは乖離するばかりという不合理な状態に陥る。
逆に言えば、猫足立のもつ武術的効用の高さを知れば知るほど、そのような蛮行は絶対にしたくないというのが真摯な空手修行者の真情であろうから、これを後屈立ちに改変したということは、取りも直さず猫足立の武術的な意義については理解不十分であったと言わざるを得ない。
であるがゆえに、見栄えの悪い猫足立は棄(す)て、見栄えの良い後屈立ちに変えるという珍奇な発想ができたのであろう。まさにこの時、平安の型は伝来の武術的構成から、スポーツ的構成に改変されたと断ぜざるを得ないのである。
(2)拳槌中段打ち落としを下段払いに変えていること
伝来のピンアン二段の最初の所作は、左猫足立・左中段拳槌打ち落としであるが、松濤舘流の平安初段(ピンアン二段)の場合、左前屈立・下段払いとなっている。
そもそもピンアン二段の拳槌中段打ち落としは、猫足で捌きつつ、相手の腕の急所を自身の良く鍛えた拳槌で打つところに妙味がある。つまり受け即攻撃の意であり、それによって相手が手を引けばそれで良し、引かなければ更に第二撃を加えるという趣旨の技法である。
孫子の言を引くまでもなく、戦いの本義は相手の闘争意志を未然に挫(くじ)くことにある。つまり、自己に危害を加えようとして掴みかかったり、突きかけたりする相手の腕の急所を拳槌で強打することにより、攻撃続行を不能にさせるか、はたまた相手に畏怖の念を与えその闘争意志を挫くという意味合いがある。
蛇足ながら、この道理がよく分からない人は、空手の技法がストレートで用いられる琉球古武道の「鉄甲術」を思い浮かべれば良い。鉄甲を以て拳槌打ち同様に相手の腕の急所を打てば相手の腕はどうなるかということである。つまり、この拳槌中段打ち落としは、鉄甲という武器を用いた形を(鉄甲を用いないで)徒手の拳槌で行った場合を表現したものである。空手がボクシングやキックボクシングなどと本質的に異なる所以(ゆえん)である。
ともあれ、いわゆる「空手に先手なし」とは例えばこのようなことを謂うのであり、その意味でピンアン二段の拳槌中段打ち落としはまさに空手の武術性を象徴するものである。
その意味で重要な左猫足立・拳槌中段打ち落としが、単なる前屈立・下段払いに改変されているということは、まさに平安の型には武術性がない証左と言わざるを得ない。
さらに言えば、上記の「左前屈立下段払い・右追い突き」の後の所作には、一応、「拳槌中段打ち落とし」らしきものはある。しかしそれは『(右前屈立・右下段払いの後)右足を引くと同時に膝を伸ばして立って打つ』という点で伝来の用法とは著しく異なる。
そもそも、拳槌中段打ち落としは文字通りの意味での打ち落とし(剣術で言えば切り下げ・切下しに相当するもの)であるため、武術的に言えば、打ち下ろす瞬間は重心を下に下げ、沈む力を利用するのは理の当然である。
とは言え、立ち上がる力を利用しつつ打つ場合も無いわけではない。例えば、拳槌横打ちの場合は、重心を沈める必要はなく、むしろ、低い位置から立ち上がりつつ横に打ち払うことが理に適っている。
このゆえに、松濤舘流で言う平安初段(ピンアン二段)の「拳槌中段打ち落とし」らしき技法は武術的にはいかにも無理があると言わざるを得ない。ただし、スポーツ的に見れば、(猫足立で沈んで小さく打つよりは)立って大きく打った方が見栄えがすることは確かである。
また言えば、この所作の解説に『前屈にて下段を受けた右手首を相手に掴まれたので、それを振り放しざま相手の手首を打つ』とある。しかし、この箇所の技法は、右前屈立下段払い・右猫足立拳槌中段打ち落としの連続に意味があるのであって、(下段払いから拳槌打ち落としにいたる外形がたとえそのように見えたとしても)ここには掴まれた手を振り放すという意味はない。
そもそもこの技は、棒術で言えば、下段裏受け・上段打ち落としと、トンファー術で言えば、下段受け・上段打ちと同じ技法である。つまり、棒やトンファーではなく、それを徒手で行ったものがこの箇所の技であり、基本的には右猫足立下段払いで捌いて、直ちに右拳槌中段打ち落としに極めるという趣旨である。「鍵の穴から天を覗(のぞ)く」式に徒手だけで空手を理解しようとするからこじつけ的な勝手な判断となるのであって、棒やトンファーで所作すればこの技法の意味は一目瞭然である。
蛇足ながら言えば、空手の型は、(古人の知恵として)外形から見て簡単にその技法が分からないように作られているものである。
ゆえに、空手の型の解釈において特に留意すべきことは、外形から無理やりこじつけて物を考えてはいけないということである。分からなければ素直に聞けば良いと思う。尤も、聞くべき人がいなければお話にならないし、それより何より、聞くべき当人が何を聞くべきかの知力に欠けていればこれまたお話にならないということである。
(3)武術にとって最重要の目付けの問題
古来、武術においては、「一眼・二足・三胆・四力」と謂われているように、いわゆる目付け(目配り)は最重要のテーマである。ゆえに、空手の武術性を論ずる以上、この目付け(目配り)は避けて通れない問題である。
而るに、平安三段の振り突き・後エンピにおける目付けが(本来は攻撃している方向である後斜めを向くはずが)なぜか演武線正面を向いている点は武術として実に不可解と言わざるを得ない(ただし、スポーツ的・体操的にはこの方が格好は良いと思う)。
百歩譲って、例えば、後に牽制を出し、直ちに前を攻撃するという意味においては(型としての)目付けは正面でも良いが、この場合の型の解釈はあくまでも背後から敵に抱きつかれた状況を想定して、それをいかに解脱し、いかに反撃するかに主眼があるから、その攻撃方向から眼を反らし、前を向いて良いという理屈にはならない。
また平安五段の右三日月蹴り・右捻り前エンピで目付けが一旦、正面左側に向けられるも正確に言えば適切ではない。ここは、本来、右三日月蹴り・右捻り前エンピ・諸手右中段外受けが一連の所作であるから、当然に目付けは正面のままのはずである。
要するに、平安五段の場合、一連の流れを一旦、右捻り前エンピで区切っているのである。その意味での目付けとして正しいが、武術的意味からすればエンピの後、直ちにそのまま裏拳を飛ばすことは人体構造上の点から見ても極めて自然な技法である。
逆に言えば、首里手・泊手・那覇手を問わず各系統の型に多く用いられているこの一連の技法がなぜに平安五段のみにおいては、コマ切れにされているのか不可解である。平安の型が体育・スポーツ用に作られていると謂われる所以(ゆえん)である。
蛇足ながら、なぜ、一連の技法をコマ切れに区切ったのかを推察すれば、おそらく騎馬立・右捻り前エンピをその外形のままに進行方向左側の相手に対するものと解し、また次の交差立・諸手右中段外受け(松濤舘では内受け)をその外形のままに右からきた相手への「受けそのもの」と解したことにあると考えられる。しかし、型の所作には深い意味があるから、単に外形からその技法を推し量ることは最も警むべきことなのである。技法のエッセンスを内臓させて型を残した古人の叡智を知ることが肝要なのである。
(4)型の分解としての約束組手
なぜ、わざわざこのようなタイトルを付けたのかと言えば、船越義珍自身がその著「空手道教範」で『組手というのは型において練習した攻防の技を、実地に当て嵌めて練習する一種の型である』と述べているからである。
言い換えれば、そこに示されている分解組手を観察することにより、逆の意味で、平安の型がどのように解釈されていたかを窺い知ることができるという理屈である。
しかし、残念ながら、武術的な意味合いのものは見当たらず、総じて言えば、突き、打ち、蹴り、受けをもってする本当に初歩的な約束組手の形のものが多い。この原因の最たるものは、やはり、空手の武術性を端的に象徴する最重要の立ち方たる猫足立を廃し、スポーツ的に見栄えのする前屈立や後屈立で技を展開しているところあると言わざるを得ない。
もとより、一部には武術的意味合いの技を示しているものもあるが、上記の理由により、いかにもとってつけたような形の感が否めず、いわゆる「本当に使える形」とは程遠いものを感じる。
この点に関連して言えば、一般に、次の話しが良く知られている。
すなわち、「拳法概説」を著した東大生の三木二三郎・高田瑞穂の両名が本流の沖縄空手を知るべく夏休みを利用して渡琉し、琉球古武道の大家・屋比久孟伝の前で船越義珍直伝のパッサイやナイファンチを披露したところ、「あなたの演じた型は唐手ではなく、単なる踊りに過ぎない」と酷評され、と。
因みに、このエピソードは、その視点を変えて見れば、本題のサブテーマたる「空手は本当に隠されていた」のかを考察する上で重要なヒントを示唆するものであるが、これについては後述する。
ともあれ、伝来のピンアンの型は、まさしく武術的な技法のエッセンスをもって編まれたものであるが、それから派生した松濤舘流の平安の型は、武術的な要素を考慮しないという意味での本質的な改変により、体育的・スポーツ美的な様式は際立って華麗であるが、お世辞にも武術的な型とは言い難いものと結論づけられる。
このゆえに、「隠された空手」の著者が主張されるように『(松濤舘流の)平安の型は空手のエッセンスを集めた極意の型であるから、それをキチンと分解すれば当然のことながら武術空手として十分に使える』という論法は論理必然的に成り立たないのである。
ただし、それを例えば合気道など他武道の応用技的な観点から解釈することはもとより自由である。が、しかし、それは合気道など他武道の応用技的な解釈ではあっても、伝来の武術空手に由来する解釈でないことは明白である。
然らば、日本本土に移入されたはずの武術空手は一体どこへ消えてしまったのか、それについて次の『第七回 (その三)』で論じてみたい。
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