第12回 琉球古武術における武器の由来について2009.1.16
<質問>

 琉球古武術における棒,サイ、ヌンチャク、トンファー、鉄甲、鎌、ティンベー、スルジンといった武器の由来について教えてください。


<回答>

 一般的に言えば、次のように言うことができます。

一、棒(中国風に言えば棍)

 言わずもがなのことですが、棒は石器とともに人類最古の武器であり、古代より使用されてきたものであることは論を待ちません。中国では古来、少林寺の棍法が有名です。「すべての武術は棍法を宗とし、棍法は少林を宗となす」と言われております。沖縄の棒は、地理的・文化的な立地条件から見て(もとより南方渡来のものもあるでしょうが)基本的には中国からの影響を強く受け、沖縄の文化と風土の中で、独自の創意工夫を凝らしつつ成立したものと推定されます。

 独自という意味は、そもそも漢人(いわゆる支那人)の体に合わせて成立した中国武術的な動き方を(人種の異なる)琉球人の体に合うように工夫したという要素を含めての、(もとより棒のみに限りませんが)言わば中国武術の沖縄化という意味合いです。

 因みに、棒の種類としては、六尺、九尺、三尺、砂掛け棒があります。


二、サイ

 中国・明代の陵墓からサイの祖形と思われる武器が出土しています。サイの由来については俗説・珍説の類が多くありますが、やはり中国渡来のものと推定されます。

 因みに、釵の種類としては、通常の三叉(みつまた)の釵の他に特殊な形の卍釵があります。


三、ヌンチャク

 彼のブルース・リーで有名になったいわゆるヌンチャクは、中国北方では双節棍(シャンチェコン)と言い、福建省では両節棍と書いて「ヌンチャクン」と言っています。これもまた中国渡来のものと推定されます。その他、三節棍、四節棍もあります。

 因みに、ブルース・リーが映画で使ったヌンチャクの技法は沖縄伝来のものとは全く関係ありません。沖縄の技法は携帯棒としての一本のヌンチャクを操作するものであり、ブルース・リーのごとく二本のヌンチャクを両手に持って使うということはありません。

 因みに、フィリピンにはKALI(カリ)と呼ばれる伝統武術が伝えられております。60〜70cmの短棒を両手、または片手に持って打ち合いながら、様々な動きを練習するものです。

 このフィリピンのKALI(カリ)の技術の一端としてヌンチャクに似た形状の武器(タバクトヨクと呼ばれる)があります。沖縄のヌンチャクが一本の棒を扱うがごとく重く鋭く振るのに対し、タバクトヨクは、非常に軽快な振るところに特徴があります。

 ブルース・リーの場合は、このKALI(カリ)とタバクトヨクの技法にヒントを得て映画用にショーアップしたものであります。因みに、彼が映画撮影時に用いたヌンチャクはプラスティック製の軽いものと謂われております。


四、トンファー

 トンファーは、拐(カイ・福建省ではトンクワー)という名で中国には古くから伝えられている武器であり、各種の形に分かれていますが、その中の一種が沖縄に伝えれたものと推定されます。

 因みに、イタリアン式フェンシングの中には、十字形になっている剣の柄を上から鷲掴みの形で握り、突きの後にトンファー的な使い方をするものもあります。手首の回転と武器の遠心力を利用した裏拳的な技法は洋の東西を問わず、共通のものがあるようです。

 トンファー術の特長は、一本の棒を二つに分断してかつ短くし、それぞれに把手(え)を付けて(上記のイタリアン式フェンシングのごとく)操作し易くしているため、通常、両手で操作するところの棒の技法と同じ技法を両手で操作することを可能にしていることにあります。つまり、トンファーの応用範囲は極めて広いということになります。

 少なくともトンファーは、俗説でまことしやかに謂われているがごとく「石うす」の取っ手から考案された武器でないことは確かです。洋の東西を問わず、そこには深遠な術理が秘められているということです。


五、鉄甲

 鉄甲は日本の忍者も使っていますが、由来がどこというよりも拳の威力をより強める必要性からこれまた洋の東西を問わず自然発生的に工夫されたものと解されます。とりわけ琉球古武術の鉄甲術の場合は、空手の術理を最もストレートに応用できる武器ということになります。

 少なくとも、(徒手の組手に殆んど近い)鉄甲の組手をすれば、空手の拳をなぜ当ててはいけないのかという理屈が本当の意味で理解されます。鉄甲はもとより武器であり、空手の拳もまた武器に他ならないからであります。逆に言えば、空手においてなぜ拳足を鍛える必要があるのかを真に理解できるということであります。


六、鎌

 戦は基本的に野外で行われるものです。そのような場所で生い茂る雑草や潅木の類を刈り払い陣場を構築するのに不可欠にして便利な道具が鎌です。のみならず鎌は湾曲した刃で梃子の原理を用い、少ない力で大きな殺傷力を得ることができ、かつ相手の武器を引っ掛けて絡め操る特長があるためるため古来武器としても用いられたものであります。

 琉球古武術には古伝空手の術理を応用しての二丁鎌術があり、日本には鎖鎌・長柄の鎌・鎌槍などがあります。

 因みに、いわゆる鎖鎌術は、分銅鎖術と鎌術を合体させたものでありますが、鎖鎌術の流派の中には、(琉球古武術と同じく)分銅鎖を付けない形での二丁鎌を用い、本来の鎌術としての精緻な技法を残しているところもあります。


七、ティンベー

 正確にはティンベー(楯)と、ローチン(短槍)を組み合わせたものでティンベー術と言います。このように、片手に防御用の楯を持ち、片手に剣・刀などの攻撃用の武器をもって戦う武技は(ギリシャ、ローマの時代を例に引くまでもなく)古代からありました。

 たとえば、中国の場合、明の名将、戚継光が和寇の撃滅戦法に用いた強力な秘密兵器として知られております。そのティンベー術は、楯という防禦兵器に、投げ槍・腰刀という長・短二つの攻撃兵器を組み合わせたところに特長があるようです。沖縄のティンベー術にも似たような所作があるため、多分にその影響を受けたであろうことは想像するに難くありません。


八、スルジン(短鎖・長鎖)

 人類史上、鉄が武器として登場すると、それまでの青銅製の武器は瞬く間に姿を消して行きました。鉄の特長が固く折れず曲がらず強いところにあったからです。その鉄がいわゆる鎖の形状をとれば、鉄は一転して、柔らかく折れて曲がりかつ強い素材ということになります。

 その特長を武器として活用したものが、棒手裏剣の如き形状の武器と(鎖の先に分銅をつけて用いる)分銅鎖を合体させたスルジン術ということになります。分銅鎖で相手の武器や首を絡めて、先端の鋭く尖った棒手裏剣状の柄で攻撃するなど多様な技法があります。

 とは言え、物事には必ず両面があります。分銅鎖が強力な武器なだけに、反面、コントロールいう側面においてはその操作に難点があり、そのゆえに熟練の技が要求されるということになります。生兵法でこれを用いることは、返って自らを傷つけることになるという危険性を秘めた武器であります。

 スルジンの種類としては、鎖の長さが一尋(両手を左右に広げたときの長さ)の短スルジンと、二尋の長スルジンがあります。因みに、日本の鎖鎌の鎖は長いもので3.5メートル前後あります。


 いずれにせよ、古来、沖縄では(もとより中国もそうですが)空手を学ぶ者は武器を併せて学ぶのが常識となっています。上記の八種の武器はまさに手の延長であって、空手と異種のものではなく、長短の武器を学んでこそ空手の全てを理解できるものと謂われております。


 第11回 琉球古武道のティンベー術の質問に答えて2008.12.29
<質問>その一

 琉球古武道のティンベー術は沖縄のいわゆる「棒踊り」から生まれたものと聞いたことがありますが、本当でしょうか。


<回答>

 もちろん沖縄には言われているような「棒踊り」もあります。しかし、それとは別に「武術」として伝承されているものもあります。言わずもがなのことですが武術としてのティンベー術はいわゆる「棒踊り」とは似て非なるものです。

 極論すれば、武術としてのいわゆる古流剣術とそれを見世物として演出するためのいわゆる殺陣(たて)の動きは一見すると良く似ています。しかし、だからと言って、殺陣(たて)をいくら稽古しても所詮それは殺陣であり、本来の剣術の稽古とは凡そ別物であるのと同じことであります。

 そもそも片手に防御用の楯、片手に攻撃用の武器(剣・刀・槍など)を持って戦う武技は古代ギリシアのファランクス(方陣)を持ち出すまでもなく、有史以来のものであります。

 (防御用の楯、攻撃用の武器という意味での)ティンベー・ローチンの場合、三山割拠の戦国時代には既に実戦で使用されていたことが、琉球の万葉集とでもいうべき「おもろさうし」に見えております。それによれば『立派な甲冑を着けて、牛の描かれた楯(言わばティンベー)と色塗りの鉾(言わばローチン)を取り、敵の見事な城門を攻め立てて云々』とあります。

 ゆえに、沖縄のティンベー術を民俗芸能たる「棒踊り」だけのものと決め付けるのは明らかに不自然であります。ことはむしろ逆で、古来、武術としてのティンベー術が伝承されていて、後にその所作が「棒踊り」に取り入れられ、「踊り」として演出されたものと解する方が適当です。

 そのような由来は、日本本土におけるその種の棒踊り(民俗芸能)の場合、もっとハッキリとその経路が伝承されております。即ち、武術者たる武士が伝えた武術の一端がその種の「踊り」の発祥であると。

 沖縄の各地に広く見られる「棒踊り」はまた「村棒」とも謂われます。ある資料に拠ればその数は実に40有余の市町村に上ります。

 「村棒」という言葉のイメージからか『そもそも村棒はかつて村民が村を守るための武術として編み出したものである。しかし、その後の社会情勢の変化などにより次第に形を変え今日の民俗的村棒として残っているのである。つまり、基本的には村棒の発生が先で、琉球古武道はそれを踏まえて発展したものである」とする説があります。

 村を守るための武術という意味では中国河南省の「陳家溝」村(600世帯・2500人)の例を挙げることができます。この村は太極拳のふるさとして有名で、陳一族を中心に古くより太極拳が伝承されてきました。夕方になると、村の太極拳練習場には多くの人が集まり、槍や刀を手に黙々と太極拳の稽古を行っているそうです。

 百歩譲って、沖縄の民俗的村棒の起源が上記の「陳家溝」村と同じく武術であったとしても、決定的に違うのは「陳家溝」村で日々稽古されているのは紛(まが)う方なき武術であって沖縄のごとき民俗的村棒ではないということです。

 もとより武術には武術としての貴重な価値があるゆえに、現在、村棒の行われている40有余の市町村の少なくとも半数、もしくは三分の一、否、四分の一にでも「陳家溝」村のごとく武術としての形態が(いかなる社会情勢の変化があったにせよ村棒とは別に)隠密裏に伝承されているはずと解するのが道理であります。然るに、その全てが民俗的村棒であるということは何を意味するのか、ということです。

 言い換えれば、武術たる琉球古武道は、いわゆる「棒踊り」あるいは「村棒」を参考にして発生したのではないということは明白であり、ことの順序はまさに「その逆」と解するのが適当です。武術としてのティンベー術を真似て民俗芸能としての「棒踊り」が生まれたと言わざるを得ません。

 それはさておき、このティンベー術がいかに実戦武術として優れたものであったかは、倭寇の侵略に手を焼いていた中国・明の名将戚継光が、和寇が得意とする刀法と長槍の術を封ずるための独特の武術としてこれを採用し、和寇平定に大きな効果を上げたことで知られています。


<質問>その二

 琉球古武道のティンベー術には、(日本武術でいう)いわゆる手裏剣術のようなものはあるのでしょうか。


<回答>

 既にご説明いたしましたが、琉球古武道におけるティンベー術の源流は(文物の交流発展の歴史などから見ても明らかなように)中国にあると解せられます。

 とりわけ明の時代においては、左手に防禦用の楯(藤で編んだ大型の丸い楯でティンベーに相当する)と斬り込むための刀を併せ持ち、右手に攻撃用の投げ槍(木や細竹で作ったものでローチンに相当する)を二本持って戦う武技とされております。

 その最も効果的な戦い方は、相手に近づいて木または竹製の投げ槍を放ち、相手がそれにより負傷したり、あるいは避けようとするところを、すかさず刀を右手に持ち替えて斬り込むことにあると言われています。

 倭寇に比べて明の官兵は、一般的に胆力に劣ると評されており、そのため倭寇の得意とする胡蝶陣(計略をもって誘い込んだ明兵に対し伏兵の倭寇が一斉に日本刀をきらめかして襲い掛かるその様がまるで胡蝶が群れをなして舞い上がる姿に似ているところから中国でそのように呼ばれた)にはなす術もなく逃げ散ったと謂われています。

 そのゆえに、防御用のティンベーを活用した上記の戦法は、対倭寇戦用の秘密兵器として功を奏し倭寇撃退の一翼を担ったと伝えられております。

 ともあれ、琉球古武道のティンベー術にもローチンを用いてのいわゆる手裏剣投げの技法があり、そのための稽古も行います。その意味ではティンベー術にも手裏剣術があると言えます。

 この技法は、ローチンを手裏剣投げし、その虚に乗じて隠し剣(ティンベー術の場合はローチン)で相手を制するというものです。

 この手裏剣投げを投げ槍の意と解すれば、琉球古武道におけるティンベー術は、(原理的には)明の時代の技法と全く同じものとなります。この両者の類似性は何を意味するのか、大いに興味が持たれるところであります。

 蛇足ながら、琉球古武道の種目の一たる釵は受け・突き・打ち・刺し・掛けなどの技法がありますが、これに加えてさらに恰(あたか)も手裏剣のごとく投げて使う武器としても知られております。因みに、「湖城の釵」にはその所作が示されております。


 第10回 スポーツ的発想と武術的思考との違い 2008.12.9
<質問> 不祥の弟子より

 ご無沙汰しております。ホームページ、いつも楽しく読ませていただいています。様々な質問への回答がとても意味深く、勉強になります。ひとつお教えいただきたいことがあります。

 毎日のようにニュースで流れる省庁や企業等における隠蔽・偽装等、「またか」とうんざりしながら見ています。組織の中に、誰か心ある人間はいないのかとも思うのですが、きっと声に出せない環境なのでしょう。

 ふと、自らがその立場になった場合、どうすべきなのか考えてみました。果たして、クビ、左遷、窓際等覚悟で声を出すか、それとも組織の一員に徹し、良心の呵責に耐えながら、犯罪を黙認するのか…。

 事の大小はともかく、仕事人である以上、誰もが他人事ではない問題かとも思いました。非常に次元の低い質問で申し訳ありません。ご教授いただけたら幸いです。

追記
 やんちゃ坊主どもの育児にも少しずつ慣れてきました。近いうちに道場に復帰したいと思います。休んでいて、いかに空手は自分の心の拠り所であったかを再認識した気がします。不肖の弟子ですが、ご指導よろしくお願いします。



<回答> 不祥の弟子さまに答えて

 書き込み有難うございます。私も雑事にかまけてつい音信が遠のいてしまい申し訳ありません。稽古復帰の件は了解いたしました。貴兄のご都合の宜しい時期からご参加ください。

 さて、貴兄も先刻ご承知のことと存じますが私の道場では、いわゆるスポーツ空手的な発想、所作、言動、その根底にある空手に対する好い加減な考え方や態度を厳しく戒めております。

 スポーツ的な空手は、中学・高校・大学生などがいわゆる部活動として力任せに、若さを発散させてやる類のものとしては適しておりますが、少なくとも社会人が取り組む内容としてはいささか不適当と考えているからです。

 色々な意味で実に有益な生涯空手という見地からすれば、スポーツ空手的なやり方は学生時代だけで十分であり、むしろ、社会人となった以上、そこで培われた基礎を有効に継承発展させる道という意味で、速やかに武術的な空手に移行するのが間違いなく得策と私は考えております。


 一般的に言えば、社会人は(自己生存のために、もしくは愛する者のために)この人間社会をいかに生きるかの手段方法を模索して、いわゆる「食べて」行かねばなりません。言い換えれば、(親の庇護を離れて自立し)自分の頭で考え、自分の足で歩き、生きるための努力をしなければならないのです。

 ここが学生と社会人の本質的な相違点です。自ずからそこには「戦いとは何か」「人間とは何か」「自分とは何か」「生きるための脳力とは何か」「生きるためになぜ勉強しなければならないのか」などの問題を避けて通れないということです。

 言い換えれば、社会人の(人世を生きるための)勉強は、学生時代のいわゆる偏差値優先的な知識偏重主義の勉強とは自ずからその性質を異にするのです。

 これを体系的に学ぶ最適の手段が戦いのエッセンスをコンパクトに纏(まと)めた孫子であり、その雛形(戦いの一類型が具現化されたという意)としての武術的空手であります。

 逆に言えば、琉球伝来の空手は、(孫子の兵法思想をその術理的基盤とする)中国武術の琉球化したものゆえに、(当然のことながら)そこには孫子兵法の思想が色濃く反映されているということです。

 巷間、古武術の存在意義は「介護」や「走り方」はたまた「階段をラクチンに登るやり方」などに応用されるやに見聞き致しますが、そもそも古武術は(心身を鍛え生きるための思考を練るものゆえに)そのような枝葉末節の応用に限られるものでなく、人生のもっと根幹的な問題に活用すべきものなのです。

 また、次にように言うこともできます。

 現代空手は、「いかに相手を打ち負かすか」といういわゆるスポーツになってしまい、武術として学ぶにはいささかお門違いのものになっております。そもそも、武術という観点から言えば、『兵(戦い)は国の大事なり。』<第一篇 計>であるゆえに「戦いとは何か」を知り「兵は不祥の器・凶器」という認識に至ることが肝要なのです。そのゆえに、先ず第一に考えなければならないのは「戦わずして勝つ」という方策です。

 次に、已(や)むを得ずして戦うという場面も当然に想定されます。しかし、その場合であっても『謀攻』<第三篇 謀攻>をもって『勝ち易きに勝つ』<第四篇 形>を主眼とする態勢づくりを第一とし、闇雲な正面攻撃や力攻めは避けるのが鉄則です。

 また、武術の仮想敵は「一対一」はもとよりのこと「一対多数」が通常の姿であるゆえに、いくら勝利を収めているからといって無分別な慮(おもんぱか)り無き深追いは我が身を滅ぼすもとなります。

 孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>とは、まさにこの意であり、彼の「風林火山」で有名な武田信玄の「六分か七分の勝ち」も同意であります。


 言い換えれば、スポーツ空手は、初めにルールがあり審判がいて、定められた場所で、定められた方法をもって(一対多数ではなく)一対一で戦い、「いかに相手を打ち負かすか」という狭い意味での勝敗に拘泥し、かつ記録を重要視するものゆえに、自ずから古武術的な空手とはその本質を著しく異にするということです。


 「人世を生きる」という意味での広義の戦いにおいて、相手を一人と想定し、その相手を「いかに打ち負かすか」にのみ主眼をおいて行動すれば奇人変人の謗(そし)りは免れません。早い話が、例えば、会社の不祥事を告発してこれと戦おうとすれば、昨日までの上司・同僚・後輩までが全て敵に回るということです。一対一とか、フェアとかアンフェアとか、そうゆう問題ではないのです。これが実社会での厳しい戦いの現実なのです。

 まさに「男子、家を出ずれば七人の敵あり」のごとく常に複数の危険要素を想定する必要があり、かつ(スポーツと異なり)文字通り命の懸かっている人生の戦いにおいては、やはり、「戦わずして勝つ」から始まって『勝ちを全うする』<第四篇 形>という深謀遠慮が必要なのです。

 とは言え、私はもとよりスポーツ空手を否定する者ではありません。若人が溢れる若さをもって自己の体力の限界に挑戦するスポーツ空手はそれはそれで尊く美しいものであり、その意味での存在価値は否定できません。ただ、社会人として物を考える縁(よすが)とするにはいささか物足りないということであります。


 つい前置きが長くなりましたが、実はこのことは貴兄のご質問と非常に密接な関係にあります。


 『毎日のようにニュースで流れる省庁や企業等における隠蔽・偽装等、「またか」とうんざりしながら見ています。組織の中に、誰か心ある人間はいないのかとも思うのですが、きっと声に出せない環境なのでしょう。ふと、自らがその立場になった場合、どうすべきなのか考えてみました。果たして、クビ、左遷、窓際等覚悟で声を出すか、それとも組織の一員に徹し、良心の呵責に耐えながら、犯罪を黙認するのか』


 つまり、このような問題を考える際に、貴兄の思考の根底にスポーツ空手のごとく「いかに相手を打ち負かすか」だけの単純思考が入っていないかどうか、はたまた、負けたら負けたで(この場合は長いものには巻かれろ式で現状に甘んじる意)意味もなく自己を卑下する負け犬的根性が潜んでいないか、ということです。

 兵法的な思考は、もとよりそれらのいずれにも組しないところにその特長があります。とは言え、頭では分かっていても一朝一夕で身に付くものではなく、ついつい旧来の得意技的な思考に陥り勝ちなものなのです。武術的な空手を学ぶということは、まずそのよう安易な姿勢に気付き、その殻を破るところにその出発点があります。

 人世の問題は、いわゆるスポーツ的な発想で片付くほど単純ではなく実に複雑怪奇であります。私が社会人こそ真摯に勉強すべしと説く所以(ゆえん)です。また、学校の勉強が嫌いだったから、社会に出ても勉強はしたくない、という思考も適正ではありません。万物は流転し変化して止むことはありません。然(しか)るになぜ大人は「赤ん坊」のごとく、常に進歩発展を目指さないのか、現状維持に安住し固執するのか、大いなる疑問であります。

 社会人になれば『もはや「赤ん坊」に非ず、人間は完成した』とでも言うのでしょうか。もとより当人がどう考えようとカラスの勝手でありますが、自己の肉体はもとより、その環境も社会も日本も世界も常に変化し続けるというのが普遍的な事実です。

 それに反する勝手な思い込みと過信による言わば妄想は、遠からずその厳粛な事実に木っ端微塵に打ち砕かれることだけは確かであります。

 犬や猫ならそれでも良いでしょう。しかし、知性あるゆえに万物の霊長たる人間は犬や猫ではありません。折角、人間としてこの世に生まれた以上は、現状維持を打破し、あたかも「赤ん坊」の如く常に自己を「変革」し続けることが人間の人間たる証(あかし)であります。吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)であります。

 今回は、敢てご質問に対する具体的な回答は記しませんでした。すでに述べたことを参考にご自身の頭で考えることが最も適切と考えたからです。その意味で貴兄のご質問は『次元の低い質問』どころか非常に次元の高いご質問と考えております。

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